Masuk竜虎は後悔していた。
自分で誘っておいてあれだが、共通の会話が無明以外ない。そもそもついひと月半前までは、彼は口が利けたのかと驚いていたくらいだ。
白群の中でも、修練の時以外はひと言でもしゃべれば珍しがられるほど、普段から無口なようで、これでも社交性のある方である竜虎でさえも、そろそろ限界に達しそうだった。
「あー······えっと、白笶公子は、なにか趣味でも?」
馬鹿か! 俺は馬鹿なのか!
訊いておいてすぐに後悔する。もちろんこんな唐突でわけのわからない質問にも白笶は無表情で、だが誠実な性格が返答しないのを許さなかった。
「··········特にない」
すみません、俺の質問が悪かったんです、許してください。
どうしてこんな苦痛をわざわざ味わっているのかと言えば、答えは一つ。これからどうやってこのひとと向き合えばいいのか、を模索するためだった。
市井の茶屋は何軒もあり、それぞれに売りにしている菓子や茶があり、この茶屋は無明にすすめられて選んだつもりだ。目の前には茉莉花の花茶の良い香りが漂っていて、茶請けに蜜棗が添えられていた。
それから沈黙が続く。
竜虎は完全に気まずさが顔に出ているが、白笶にとって沈黙はいつものことなので特に気にしておらず、花茶を口にしては店内を眺めていた。この茶屋はそれぞれ個室になっていて、大きな花窓が入り口から見て左側にある。右側には木製の赤い衝立があり、個室と通路を仕切っている。
竜虎は入口側、白笶は奥側に座っており、花窓は竜虎から見ると左側にあった。周りの声はそれなり聞こえるので、茶屋自体は賑わっているのが分かる。ここの空間以外は、だが。
「······君は、なぜ強くなりたいんだ?」
まさかの白笶からの問いに、竜虎はもう少しで口に入れたばかりの蜜棗を呑み込んでしまうところだった。
「き、急に、なんですか? なんで、そんなこと、」
自分の質問も大概だったが、白笶のその問いも急すぎる。しかし、せっかくの会話のきっかけだ。竜虎はこほんと咳をひとつして、ひと呼吸おいて口を開く。
「俺は、ずっと昔からあいつを見てきました。あいつを傷付ける奴は赦さないし、絶対に負けたくない。無明を守る。これは約束であり、決意であり、俺が剣を揮う理由。もちろん、紅鏡の民も守る。だけど、そのためには強くならないといけない。口だけならなんとでも言える。でも、実力が伴わなければ、それはただの戯言になるだけ」
こんなこと、誰にも話したことなどない。父や母はもちろん、無明にもだ。目の前にいるひとは、かつての華守。
つまりは五大一族で一番だったひと。今もそれはたぶん変わっておらず、それは竜虎にとって、またとない機会だった。
「こんなこと、あなたに頼むべきじゃないのかもしれないが、」
この短い期間で今まで以上に成長したのを実感している。白笶の教え方はとても解りやすく、自分が強くなるためにはこれを利用しない手はない。
恥などない。
弱いのは自分が一番よく解っている。
だから。
「俺を、弟子にしてください!」
深く、竜虎は頭を下げる。その発言に白笶は少なからず動揺していた。よりにもよって金虎の公子が「弟子にしてくれ」と言っているのだから。
「わかってます。おかしな話です。俺は金虎の公子。本来仰ぐべきは同じ一族の術士。けど、俺は強くなりたいんです。そのためなら手段は選んでいられない。あなたはこの国で一番強い。お世辞でもなんでもなく、実際そうだ。そんなひとが近くにいて、足手纏いになるのは嫌なんだ」
置いて行かれるのは嫌だ。
ふたり並んでいる場所に自分も立てるとは思っていない。
けれどもせめてその近くで。
手の届く場所で。
「俺は、あなたを師として仰ぎたい」
真っすぐで揺るがない、若く恐れを知らないその紫苑色の瞳は、白笶を捉えたまま離さない。少し考えた末、白笶は小さく頷く。
無明のためにも、戦力は多い方がいいだろう。それに、竜虎の実力は未知数だった。まだまだ時間はかかるかもしれないが。
「······断る理由はない、」
その言葉を聞いた途端、竜虎は本来の少年らしい輝いた眼を白笶に向けてくる。これは夢か幻か。いや、現実だ。あの華守にこれから先も修練をつけてもらえるのだから。
「では、今日から師父と呼ばせてください!」
「いや······それは、断る」
「は? なんでですかっ!?」
急に遠慮なしに突っ込みを入れてくる竜虎を無視して、白笶は再び茶を口に運ぶ。賑やかしい茶屋に、竜虎の大きな声が響く。
次に向かう地は懐かしき場所。
色んな意味で因果のある場所だった。
(白虎、少陰か)
あの四神は少し癖があり、白笶はあまり得意ではなかった。
遠い昔に思いを馳せながら、花窓から見える青く澄んだ空を、白笶はただ静かに見つめていた。
✿〜読み方参照〜✿
無明《むみょう》、白笶《びゃくや》、竜虎《りゅうこ》、少陰《しょういん》
白群《びゃくぐん》、紅鏡《こうきょう》、金虎《きんこ》、師父《しふ》、華守《はなもり》
「姉様、お願いだから、理由を教えてよ! なんで母上をこんな所にっ」 結界牢の見えない壁にへばりついて、椿明は必死に訴える。後で入れられた自分はともかく、宗主はもう何日もここに囚われていた。疫病がなぜか治っているが体調は悪そうだった。「あなたは黙っていればお人形のように可愛らしいのに、どうしてそんな風になってしまったのかしら?」 薄茶色の真っすぐに揃えられた前髪が大人しそうな印象を与える蘭明は、頭の上にお団子を左右に作り、青い小さな花が三つほど付いた飾りを付けていて、残った癖のある髪の毛は背中に垂らしていた。大きな愛らしい灰色の瞳。長い睫毛が彼女の容姿をさらに幼くさせる。 椿明たちとは違い、紺藍の胸元が開いている女性らしい上衣と、裾に白い糸で紋様が描かれた下裳を纏い、藍色の領巾を肩に掛けている。耳には白と紫の花びらが付いた蘭の小さな耳飾りをつけていた。「そこで大人しくしていて。私は宗主代理として、ここに来る大事なお客様をお迎えしないといけないのだから」「なにをするつもりなの?」 宗主はそれが紅鏡の金虎の公子たちと、碧水の白群の公子である甥であること知っていた。そして宗主だけが知っていることを、目の前の娘は知らないのだ。(どうしたらいいの? 神子様も一緒だと言うべき? いえ、駄目よ。本当の目的がわからない以上、神子様の願いを無視はできない) あの日、碧水の地に玄武の陣が咲いた次の日。五大一族の宗主だけに伝えられた願い。 ちょうどこの牢に入れられる前にそれは伝えられた。宗主の間でだけ交わされる特別な通霊で、頭の中に直接、白漣の声が響いたのだ。「ふふ。母上、わかっているでしょう? 私が紅鏡から戻って来てからずっとしてきたことを、目の当たりにしたのだから」「あなた、本当にどうしてしまったの?」 あの四神奉納祭の後、正しくは紅鏡を去る前日の夜から。蘭明はいつものようでどこか違っていた。そして戻って来てから彼女が人知れず行ってきたこと。それは。「特別なお人形がやっと手に入るの。誰にも邪魔はさせないわ」 にっこりと右頬に手を当てて、うっとりとした顔で語る様は、異常としか言いようがない。その変わりように宗主も椿明も言葉を失う。どんな言葉も願いも、彼女にはもう通じないのだと思い知る。 灯篭の仄かな灯が地下を照らしていたが、蘭明が去った後に薄闇へと変わる
――――三日前。 玉兎。姮娥の邸内。地下の結界牢。「姉様、出して! どうしてこんなことっ」 信じられないという顔で少女は声を荒げる。見上げた先にある、にこやかなのにどこか冷たい眼差しに、愕然とした。まさか、身内であるはずの姉に牢に入れられるとは思ってもみなかった。「お止めなさい、椿明。なにを言っても無駄よ」「母上、どういう意味ですか?」 先に捕らえられていただろう、母であり姮娥の宗主である薊明が、力なく言葉を紡ぐ。「すべてはこの子のせいで起こったことだからよ」 え? と三女の椿明は人形のように大きな眼を瞠った。 癖のある肩までの薄茶色の髪の毛は、右のひと房だけ三つ編みにしており、赤い椿の耳飾りを付けていた。紺青色の上衣下裳に藍色の広袖の羽織を纏っている十二歳の少女は、表情が豊かで、今も疑問だらけの顔で宗主と姉を交互に見やる。「それは言いがかりですわ、母上。すべての原因は母上、あなたにあるというのに」「だから、何度も説明しているでしょう? どうして理解できないの?」 青白い顔をした薊明は、疲れた声で娘である蘭明に問いかける。 薄茶色の長い髪の毛を頭の天辺で大きなお団子にし、その周りをぐるりと一周するように三つ編みにして留めている。そこに銀の装飾が付いた簪をふたつ斜めにさしていた。冷たそうな切れ長の灰色の瞳が、落胆の色を浮かべている。 迫力美人で、全体的に冷たい雰囲気を纏っている宗主は、女性にしては低めの声で、刺々しさがある。椿明と同じ紺青色の上衣下裳、藍色の広袖の羽織を纏っており、胸元に瑠璃色の玉が付いた首飾りをしていた。耳には薊の耳飾りをしている。「いい訳は結構ですわ」「蘭明!」 どうしてわからないのか、と。 十数日前。突然、都中に広まった謎の疫病。原因であろう特級の鬼である病鬼を数日後にやっと見つけたが、民を庇い、共に鬼を追い詰めていた術士数人と、自らも病に罹ってしまったのだ。 その疫病は、罹るとまずは倦怠感が出て、力が入らなくなる。その後、身体中に青紫色の斑点が表れ始め、熱が下がらない状態が続く。今のところ亡くなった者はいないが、感染力が高く、どの薬も効かないため改善策がない。 姮娥の邸に戻った後、宗主と術士たちは倒れた。術士たちがどうなっているかはわからないが、宗主だけは目覚めるとあの斑点は消えており、代わりにこの結
無明は霊泉を離れ、森を抜けた瞬間、あれ? と首を傾げる。駆けていた足を止め、くるりと森の方を振り返った。「これ、どこで拾ったんだっけ?」 いつの間にか右手に握りしめていた高価そうな横笛をまじまじと眺め、次に左手に持っている竹筒を見つめた。 確か、霊泉の水を汲みに来たはず。水はちゃんと汲んでいて、竹筒は振るとたぷたぷと音がした。「ん? 俺、なんで濡れてるんだっけ? 雨、は、降ってないし」 水浴びをした覚えもなかった。「もしかして、妖にでも惑わされたのかな?」 霊泉の前までの記憶しかどうしても思い出せず、一体なにをやらかしたのだろうと不安になる。しかし、握りしめている横笛を捨てる気にはなれなかった。その先についている赤い紐が目に入る。 自分の髪紐と同じ色のその飾り紐が、とても鮮やかで映えて見える。「まあ、いっか。怪我はしていないみたいだし」 楽観的な考えで、そのまま走り出す。不思議な体験をしたな、くらいの感覚で無明は特に気にしないようにした。 邸に着くと、藍歌がすでに戻ってきており、濡れている衣を見て大いに心配された。 しかし、何も覚えていない無明は、適当に理由を作って安心させるしかなかった。「暑かったから我慢できなくて、霊泉で水浴びをしてきたんだっ」 もっともらしい理由を答えたが、最終的にはひとりで森に行ったことに対してさらに心配されてしまった。 その夜、持ち帰った横笛をくるくると回して色んな方向から眺めていた。見たところ、ものすごく立派な竹でできた高価な宝具だと解る。 少しだけ吹いてみれば、霊力がそこから溢れ、周りに散らかっていた紙たちが部屋中に舞い上がり、さらに部屋が散らかってしまった。「すごい。これなら霊力が弱くても、使い方次第でなんとかできるかも」 目を輝かせて、笛を掲げる。そして立ち上がると、藍歌の部屋へと大きな足音をたてて、慌ただしく駆けて行く。「母上! 俺に笛を教えて!」 突然入って来て、大声で楽しそうに言い放った無明に、藍歌は目を丸くする。「急にどうしたの? 笛は自分には向いてないからいいって、前に言っていたのに」「今は笛を吹きたい気分なの! 上手に吹けるようになれば、母上の琴と一緒に合わせられるでしょ?」 またもっともらしい理由を付けて、無明は藍歌の膝の上に座ってお願いをする。 ふふっと嬉しそう
姿が見えなくなるまで見送って、少年は視線をそれとは反対側の森に移す。暗がりで身動きが取れない状態で地べたに這いつくばっている醜い姿の妖鬼は、近づいて来る足音にガタガタと震えだす。 "それ"はひとの姿に似ているがどこか歪で、耳が尖っていたり、大きく裂けた口には牙が見えた。漆黒の瞳は左右大きさが違い、身体も少年と同じくらいだが、手が異様に長かった。「お前は誰の命令であのひとを狙ったのかな?」 地面から離れられず這いつくばっているのは、呪縛符で身体の周りを覆われているせいだろうが、それ以前に両足を潰されているせいでもあった。 無明を霊泉に突き落としたその瞬間、目の前の少年に両足を潰され、呪縛符を付けられた挙句、邪魔だとばかりに森の方へ思い切り蹴飛ばされたのだ。 それはたった数秒の出来事で、その後はそのまま霊泉に飛び込んで行った。「わ、悪かった! ただの悪戯だよ! あんたの獲物だなんて知らなかったんだっ」「あっそ。そんな理由じゃ生かした意味ないね、」 横笛に口を当てようとした少年を制止するように、慌てて妖鬼が「待った!」と叫ぶ。 しかしそんなことは気にも留めずに笛の音が響き渡る。美しくも異様な音色に合わせて、妖鬼の身体の内側からぼこぼこと皮が隆起し始める。 声にならない醜い声を上げ、苦しそうに妖鬼は地べたを右へ左へと転がり出す。「い、言うからっ! ····や、やめっげぇっ!?」 舌をだらしなく出した状態で、血を吐き出す。音が止んだことに安堵して、はあはあと息を整える。「こ、黒衣を頭から被ってたから、顔は見ていない! 脅されて仕方なく、」「へー。で? ねえ、まさかそれが答えだなんて言わないよね?」 ひぃっと妖鬼はその冷たい嘲笑に思わず悲鳴を上げた。暗い森の中に二つの金眼が光っているように見える。 金眼の鬼はこの世にただひとりしかいない。数少ない特級の鬼の中でも、特に厄介な存在。 それ以下の級の妖鬼たちにとっては最恐最悪の鬼。その通り名さえ呼ぶことを赦されない、格上の存在だった。「あれは、烏哭の連中に、違いないっ! 逆らえなかったんだっ」「それも答えになってないよ。つまりは解らないってことでしょ」 甲高い音が鳴り響いた後、潰れたような声と共に、妖鬼の身体は内側から破裂し、バラバラになった血肉が地面に広がった。 少年を避けるように飛び
夏のある日のこと。 無明は邸をこっそり抜けて、裏手にある泉の方へ歩き出した。日差しは強く、じりじりと生白い肌を焼いた。 藍歌が珍しく本邸に呼ばれているため、今が好機と従者の目を盗んで邸を出てきたのだ。 森の入り口近くにある泉のため、ひとりで行ってはいけないと言われていたが、どうしても行ってみたかったのだ。 昼前なのに森の中は薄暗く、ひんやりとしているせいか汗がひいていく。北の森とは違い、怪異はほとんど起こらない小さな森だが、七歳の子どもがひとりで来て良い場所ではない。 少し歩くと開けた場所に出て、光が射して眩んだ視界の先に広がったのは、透明度の高い澄んだ泉だった。そこは地面から湧き出る霊泉で、霊力や傷を癒す効果があるらしい。「綺麗な泉だなぁ。見る角度で色が変わって見える。まさに霊泉って感じだね!」 透明なのに光の反射で青や緑に色が変わるのが面白く、思わず泉の周りを歩きながら目を輝かせる。 金虎の公子なのにもかかわらず、従者が纏う黒い衣を纏っており、腰まである黑髪は頭の天辺で赤い紐で適当に括っていた。 額から鼻の先まである仮面を付けた少年は、表情が見えないが楽しそうに弾んで歩いている。手には竹筒の水筒。目的は霊泉の水を汲んで持って帰ることだった。 邸からほどんど出られないため、藍歌がたくさんの本を持って来てくれるのだが、書いてあることは実際目で見て確かめてみたいし、触れてみたい。(汲んだらすぐ戻らないと) 無明は草むらに膝を付いて、前に屈むとやっと竹筒の先が届く。短い腕ではぎりぎりの位置で、なんとか少しずつ水が溜まっていく。 しかしあと少しでいっぱいになるというその時、急に身体が前に傾いだ。「え?」 集中していた無明は無防備で、後ろに現れた影にまったく気付かなかった。背中を強く押された感覚があり、その後はもう水の中だった。氷水のように冷たい霊泉は子供にはとても深く、藻掻いても浮かび上がれない。(····まずい······息、が、) 油断していた。何に押されたかもわからない。人か、それとも妖か。けれども今のこの状況では何も考えられなかった。キラキラと光るのは太陽の光なのか、それとも苦しくておかしくなった自分の頭の中なのか。 遠のく意識の中で、唇に柔らかいものが触れたような感覚があった。 小さな手で頬を覆われ、肺に空気が送られてく
藍歌は驚いてしばらく言葉を失っていた。 それがどこからやって来てなぜここにいるのかということはとりあえず横に置いておいて、生まれたばかりの赤子が無事であることに安堵する。 暖かな日差しと青い澄み渡った空。縁側は明るく、置かれた籠の中ですやすやと眠る赤子の顔はどこまでも穏やかだった。 その籠を守るかように丸くなって眠っている黒い物体もまた居心地が良いのか、まったりとくつろいでいるように見える。「あらあら。立派な毛並みのわんちゃん。どこから入って来たのかしら?」 よく見れば門が少しだけ開いていた。そこから入って来ただろう、野良犬には到底見えない、立派な毛並みの黒い大きな犬に話しかける。 藍歌の問いかけにぴくぴくと耳が動く。それが可愛らしくて、思わず肩を揺らしてくすくすと笑う。 邪魔をしないようにその場にしゃがんで、赤子の頭を撫でながら優しい声をかける。「無明、ほらほら、見て? わんちゃんが遊びに来てるわ。嬉しいわねぇ」 藍歌が近づいてもなにも気にしないその黒犬は、人に慣れているのかしっかり躾けられているのか、とにかく品がある。 その声に応えるようにぱちっと大きな瞳を開いた赤子が、その翡翠の瞳に藍歌を映すと、短い両手をめいっぱい伸ばして上下に動かした。 包まれている白い布に貼られた封印符が剥がれそうになって、慌てて手で押さえると、藍歌はいたたまれない思いで、伸ばされた小さな右手をそっと包み込む。「あなたの父上が頑張ってくれてるから、どうか、もう少しだけ我慢してね?」 気付けば黒犬はお行儀よくその場に座っていた。黒犬は思った以上に大型で、藍歌が縁側に正座をしたら、ちょうど同じ高さに金色の眼がある。赤子は興味があるのか犬の方へ手を伸ばそうとするが、届かない。 それに気付いてかどうかは解らないが、黒犬は自ら頭を下げて覗き込むように鼻を差し出す。触れられたことに満足したのか、赤子はご機嫌な声を上げてきゃっきゃっと笑った。「ふふ。この子、あなたのこと好きみたい」 首を下げ赤子に鼻を触らせたまま、金色の眼が様子を窺うように少しだけ藍歌の方に向けられる。 首を傾げて藍歌はにこにこといつものように花のような笑みをこぼしたかと思えば、眼を細めて悲し気な表情になる。「私のせいで、この子が苦しむのは嫌だわ」 黒犬は顔を上げ、藍歌の腕に頭をすり寄せる。人